Macとわたし(ちょっと真面目に)

 「Vista? Macをはじめよう。」

 そんな広告を見ると、あらためて自分の中にあるMacへの憧憬を呼び起こしてしまう。

 思い返してみれば、自分がパソコンと出会ったのは従兄弟の家で、X−1を見たのが最初だったように思う。ポートピア連続殺人事件を見せてもらって、子供心に興奮を覚えたものだ。たしか、まだ小学生くらいだったと記憶している。
 その後、知り合いからMZ−80Kを譲り受けて簡単なプログラムを作って遊んだりしていた。中学に入ってからは、友人が持っていたPC−6001やX−1turbo、FM−77AV、MSX2などで遊ばせてもらい、ついに買ってもらったのが当時最新鋭だったFM−77AV40EXであった。あこがれだったXanadu、YsIIをプレイしたのは正に至福の日々だったといえよう。

 ・・・その後、FM−TOWNSを購入、これもさんざんいじり倒し、やがて社会人になってからはWindowsマシンを買い換えて、現在に至る。
 要は、8ビットマシン→FM系の流れでTOWNS→DOS系の流れでWindows、という至極順当なPC人生を歩んできたことになる。その背景で、常に「憧れ」の存在であったのが、Macだった。
 一番記憶に残っているのは、Classicである。あのスマートさは、・・・今でも欲しいくらいだ(笑)。どことなく漂う「オトナ」の風格、「コンピュータはゲームをするだけのもんじゃないよ」とでも言いたげな気品。当時、Macは「子供には勿体ない」シロモノに見え、値段の面からも、まったく手が出なかった(買って何に使えるかという問題もあったろうが)。

 あれから約20年。

 横目で見続けたMacの変化は嬉しくもあり寂しくもあったが、いまでもMacはあの気高いMacであると思う。なにより、愛機たちが時代の彼方に消えてゆくなかで、いまだに毅然と生き残っていてくれたことが嬉しい。

 そんな時に、「Vista? Macをはじめよう」

 などと言われてしまうと、心が揺らぐ。Appleの言う通り、Bootcampの登場でWindowsとしても使えるようになったMacを拒む理由が薄れ始めているせいもある(理由があるとすれば、いまだアンダー2kgのモバイルノートを欠く点くらいだ)。

 次にPCを購入するとき、・・・職場や自宅で据え置いて使うPCの購入を検討する時は、Macが強力な選択肢として存在するはずだ。